14 Til I Die

消されるな、この想い

オタク坂

自分のことを「オタク」と認識してる人10代は62%、70代は23% - ネタりか

上記記事に対し、ブックマークコメントで以下のような事を書いた。

40代、30代、20代、10代でそもそも「オタク」という言葉に込めている意味合いが異なるのだと思いますがね。「世間」の認識はあんまり変わっていないし。

詳細は識者による分析などに委ねなければならないだろうが、「世代間での『オタク』という言葉に対する認識のズレ」は確かに存在していると考えている。では、各世代それぞれがどのように「オタク」という言葉を認識しているかといえば、おおむね以下のようになるのではないだろうか。

  • 40代にとっては「求道者」
  • 30代にとっては「生き方」
  • 20代にとっては「属性」
  • 10代にとっては「アクセサリー」


マニアとオタクの境界が曖昧であり、また世間からまだ認識すらされていなかった40代。「追求する事」から「楽しむ事」へシフトし始め嗜好に基づいて蒐集する事が主な目的となり、世間から認識されつつあったが未だ傍流であった30代。蒐集するまでもなくコンテンツの所在が明確であり、身の置き場の選定が主たる行動となった20代。最早コンテンツは飽和状態であり、蒐集する必要も身の置き場を選定する必要もなく、その時その時の興味の対象を次から次へと消費していく10代。

「オタク」という言葉が一般化されるに従い、言葉自体が持つ「拘束力」は弱まっていく。また、オタクが一般化されると共に、当初から「オタク」を対象としたコンテンツも生産されるようになった。自分で探したり創ったりする必要がなくなってきた。結果として、40代と10代、それぞれがもつ「オタク」という言葉の定義が似て非なるものと化すのは自然なことなのではないだろうか?*1

ただし、所謂「世間」というもののオタクへの扱いは実はそれほど変わっていないのでは、とも考えている。「世間」というものは大概の場合大人達の曖昧な共通認識の事を指すと思うが、ようやくオタク先駆者達が大人社会の上層部に足を踏み込んだばかりである。「オタク」という言葉自体は一般化したが、やはり世間様ではオタクは傍流扱いのままだ。
「そんな事はない、TVでもオタク文化の露出が増えているじゃないか」という声が聞こえてきそうだが、TVでのオタクコンテンツの扱いは未だに色物同然であるし、露出が多いのは方向性がはっきりしている為話題にしやすいというかむしろ特定企業がスポンサーに付きやすいからだ。
もちろん、現在TVマンの中核を担う人材の中に熱いオタクソウルを持った人々が増えてきた、というのも事実だろうが、それも一部での話だろう。
むしろ、今の10代が大人になった時に「世間」でオタクがどのように定義付けられているのか、その事の方が興味深いかもしれない。

*1:ちなみに、言うまでもない事だが、10代にも40代オタクのような生き方をする人間がいる可能性を否定するものではない。