14 Til I Die

消されるな、この想い

インターネット様が見てる

インターネットには「なまはげ」が必要だ - シロクマの屑籠

上記エントリーを読んだ時に連想したのが、日本人特有の「お天道様が見てる」という道徳観をインターネットに転用できないか、ということ。

「お天道様」というのは言うまでもなく太陽の事だが、この言葉の本質は「雲に隠れたり日が暮れたりして目には見えなくなっても太陽がなくなった訳ではない」≒「誰も見ていないからといって悪い事をしても、必ずどこかで足が付く」という、太陽を超自然的な観測者として神格化し道徳を説く為の方便と仏教的な因果応報論とが結びついた所にある。

もっと言えば、「この位いいだろう」という軽い気持ちで行った悪事も、結果として必ず誰かの不利益になるのだから、よくよく考えて行動しなさい、という戒めともいえる。何とも日本人らしい、慎み深い道徳観ではないだろうか。

残念ながら、今日の我が国ではそういった美徳は失われつつあるようだが、それでも「自分の言動が必ず誰かに見られている」「軽い気持ちで行った悪事が他人に思わぬ不幸をもたらす」という実感を持つ事は、ある程度人々の軽挙妄動を戒める効果を期待できると思われる。

では、インターネットにおける「お天道様」としてふさわしい存在は何か? 求められるのは、「お天道様」と親しみを込めて呼ばれるようにある程度擬人化された「傍にいる感」と、しかし実際に手で触れることは出来ないというある種神格化された存在であるという、相反する二つの要素を兼ね備えている事だ。

インターネットにおいて「傍にいる感」を持ちつつも「実際には手で触れられない」存在というと……困った事に適切な存在が見当たらない。ルータやDNSサーバなどは普段意識しないものであるし、プロバイダともなると一私企業である訳で、超然とした存在足りえない。

と、なればである。どうせなら根幹たるインターネット自体を擬人化(神格化)してはどうだろうか? 実体としてそこにありながらも大きすぎるシステム故に全体像は誰にも見えず、特定団体・企業が運営している訳ではない。*1インターネットを一つの世界と捉えるならば、その世界自体を神格化(擬人化)する事はむしろ自然な事であるように思える。
そして本邦は古来より万物に神が宿ると考える文化がある。更に言えば、世界に類を見ない擬人化先進国でもある。インターネットという正体不明の怪物も十分に神格化・擬人化が可能なのではないだろうか?

この、神格化・擬人化された存在を仮に「インターネット様」と呼ぼう。*2
冒頭に挙げたエントリのように、主に子供のネットリテラシーの啓蒙の為に使う事を想定すると、子供が何らかのおイタをした際にこう叱り付けるのだ。
いつもインターネット様が見てるよ。バレないと思ってても絶対にバレちゃうんだからね!*3

余談だが、本稿を書いている最中に吉田戦車先生の「はまり道」における「AI様」ネタを思い出してしまい、一人自室で笑いをこらえていたのだが、そういった私の恥ずかしい行動も神如き何者かによって観測されているかもしれない可能性を、私は否定できない。

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*1:厳密に言えば、実質的に管理主体となっている団体は存在するが。

*2:接尾語を「さん」にするか悩む所だが、ここは「お天道様」の例に倣おうと思う。

*3:決して「インターネット様が見ていらっしゃいますわよ?」ではない。